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心得情報015 無知という魅力

私自身、IT業界、芸能業界の至る所で過ごしてきて、 
この事に気付くまで『無知とは罪』だと結構思っていました。 

その業界での常識、その場でのマナー、その人の事、 
いろんな場で、いろんな「知っておかないといけないこと」が存在し、 
それを知らない事で「場を壊し」「時間を浪費し」「周りに迷惑をかける」 
そんな事が多い。 

芸能の世界の場合、ソレで仕事を切られたり、「次」がなくなったり 
その人が属する団体の信頼すら破壊する事がある。 

そういったシーンを何度も見聞きしていたので、非常に「知らない」人が 
近寄るとため息をつく事も多々ありました。 


ときに花嫁衣裳がなぜ純白なのか、ご存知でしょうか? 

まぁ 多くの人が知っているとは思いますが、 
花嫁が自分をもらってくださる主人に対して『あなた色に染めてください』 
というような意味があるとも言われます。 
他にもいろんないわれがあります。 


現代、こんな意味合いは崩壊しているに違いない・・なんて言ったら、 
現代の女性に失礼でしょうか。。 

ただ、『あなた色に染めてください』の前に言葉が付いたら? 
『(私は一切染まっておりません)あなた色に・・・』 

純白とは、様々な色が乗せられる色です。 
だからこそ、上述のような儀式の際に服装にも選ばれた、 
意味合いを込められた訳です。 

ただ、今現在の世の中で、純白でいる人はどれだけいるのでしょう。 


ここからがポイントなんですが、 
重要な要素として、『染まっていない事』がどういう意味を持つのか。 

まぁ 「何色にも染められる」訳です。 

色じゃないですが・・・ 
「それは右」と言えば、「右」と信じて、 
「それは黒」だと言えば、「黒」と信じる。 

ちょっと色付けすると、 
「これが正義だ」と言えば、それを「正義」と信じて、 
「これが悪だ」と言えば、それを「悪」だと信じる。 
「これを毎日する事なんだ」と言えば、「それを毎日する事」と信じる。 
「それは、思ってはいけない事なんだ」と言えば、「思わない」ようにする。 

考え方によれば・・・「洗脳」なのでしょうか? 

確かにこういった考えが大事にされていた時代、 
男尊女卑な意識が高く、女性は男性に養ってもらうのが当たり前であり、 
主人となる「男性」に従わない事は、「生きていけない」となるような 
今の時代では考えられない『選択肢』のない時代だったからこそ、 
ある意味で必要な処世術だったのかもしれません。 

ただ、「郷に入れば、郷に従え」という言葉があるように 
その場、その場でのルールや重要に考えるべき事柄は存在する訳で、 
それに対して「染まらない」事は、「そこ」にいる事に対して 
馴染めない事になりかねない。 

ある場では、毎日「発声練習」なんてものを1時間ないし数時間、 
やるのが当たり前な「場」もあったりします。 

ある場では、お互い顔を合わせれば、お互いを褒めあう事が当たり前な 
「場」なんかもあります。 

あなたのいる「場」は、どんな場がありますでしょうか? 

1日の生活の中で、いろんな場を行き渡りするのが常です。 
ただ、その場での『色』が少なからず貴方に対して侵食をしていきます。 

貴方は、徐々に色が付いていく訳です。 
・・・というよりも、生まれてからの年月で既にいろんな色が入った 
マーブル模様になっているのではないでしょうか。 

毎週、平日は朝から夜まで仕事をするのが当たり前で、 
夜に帰宅をしたら、好きなテレビを観て、ちょっと友達に電話をしたり、 
週末や休日は、友達と遊びに出掛けたり、自分の趣味をやって楽しむ。 


こういった『色』を持っている人は多いと思います。 
また、その『色』に対して、「これが常識」、「これを否定するなんてありえない!」 
なんてくらい、強い『色』を持っている人も多いかと思います。 

早朝、1時間程度のジョキング、その後に仕事へ。 
昼休みは『別の仕事』のチェック、夜まで仕事をして、夜は『別の仕事』へ。 
帰宅は深夜で、その後に『新たな仕事のチェック』。 
睡眠は毎日4時間程度。 

そんな『色』の人もいます。 

いろんな『色』を持った人たちがいて、どの『色』と混ざり合うのか。 
望んでいないでその『色』に影響を受ける事もあるでしょう。 

その『色』に憧れて近寄る人もいるでしょう。 

現代は選択の時代であり、どの選択肢もほぼ選ぶ事ができます。 
性別や年齢、身体的特徴などで、無理とされていたような事すら、 
出来てしまう事もあるくらい選択ができる次代です。 

いろんな知識を得て、いろんなルールを知り、いろんな考えに触れる事が出来ます。 

いろんな『色』を取り込む事も出来る訳です。 

反対を言えば、今の貴方の『色』は、今までの環境、今いる環境の『色』の 
入った『色』になる訳です。 

毎日運動をしたければ、毎日運動をしている『色』の場にいけば良い。 
毎日勉強をしたければ、毎日勉強をしている『色』の場にいけば良い。 

痩せたければ、痩せている人たちの多い場に行けば、嫌でもその影響を受け、 
その『色』が入ってきます。 
反対を言えば、極端な話、太っている人たちばかりの『色』にいて、 
自分だけ痩せたいと考えても、その場にはその場の『色』がある。 

単純な計算、その場の『色』を変えるには、その場の人達が思っている 
『当たり前』という『色』をくつがえすだけの強い『色』を入れなくては 
その場の『色』は変わらない。 

この理論でいけば、確かにその場の『色』を変える事も可能です。 
ですが、集合体から形成される『色』を変える行為は、集合体から 
反発される事にも成りかねません。 

それよりもシンプルな行為は、他の『色』を望んだ自分だけが 
望む『色』が当たり前な場に入る方が簡単です。 

これは、言い方を判りやすくすれば・・・ 
自分がなりたいと思う生活などがあるのであれば、 
その生活を現在行っている人達の多い場に行く。そこに滞在する時間を増やす。 

反対に自分が嫌だと思う生活をしている人たちの多い場に滞在する時間を 
出来るだけ減らす。・・極端に言えば、排除する。 

こういった方法もある訳です。 

ネガティグな考えばかり発想する人たちの中でポジティブを目指すより、 
ポジティブな人たちの中に飛び込んだ方が、簡単です。 


そして、最初の話に戻ります。 

生活や考え、物事の捉え方など、そこに偏った『色』に染まっている程、 
そこの色を塗り替える事は難しい作業になります。 

歳を取ると考え方が変えられなくなる・・なんて理由は、 
こういった事が起因になったりする事もあります。 

純白であればある程、「これが当たり前なんだよ」と『色』を入れても 
抵抗なく染まる事が出来ます。 

他の『色』に染まっていればいるほど、 
「これが当たり前なんだよ」と「えっ?そんなはずないです。自分の周りでは・・・」 
なんて事が起こる訳です。 

また、さらに残念な場合、「これが当たり前なんだよ」と言われ 
その場は「判りました」と答えておいて、その場から離れて、 
自分の今までいた場に戻って
「こんな事が当たり前だって言われたよ。どう思う?」
「そんなはずないじゃん!」
「そうだよね~」と、
今までの『色』に縛られる、今までの場に縛られるなんて事もあります。 

最近は、アドバイスをする事が無駄に終わる事が多い。 
そういったロジックを分析するとこういった事象が原因であったりする 
事が多々あります。 

もうすでに存在する場に依存をして、新たな場の『色』を受け入れられない。 
特に残念なのが、本人が「そのつもりがない」のに影響、依存をしていて 
このロジックに『はまっている』事が多い事です。 

そういった意味でも純白である人にアドバイスをする事の方が効率的である。 

歳が言っているよりも、若い人の方が・・・なんて話の理由には 
そういった事もあったりします。 

ですが、最近は若い人たちでも、今までに触れてくる 
コミュニケーションの場を狭めて生きてくる人が多く、またその場に 
強く依存をしている事が多いので、負のロジックが固まっていたりする 
事も多くなった気がします。 

本や雑誌で得る知識も『色』を持っています。 
それを「常識」と考え、目の前の現実を「非常識」と考えるのは 
必要な知識だったのでしょうか? 

知識を沢山持っている事で、取り入れる必要のある『色』を 
取り入れなくなるくらいであれば、知識を持たない事も「あり」かと 
感じるようになってきました。 

表題のように、無知もある意味で「教える労力が苦でないならば」 
導く者からすると『魅力』に映るのではないでしょうか。

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